「聞くに堪えない3日間」=元少年から見下ろされた-遺族の本村さん・母子殺害6月28日19時31分配信 時事通信
山口県光市の母子殺害事件で、広島高裁で開かれた差し戻し控訴審の公判終了後、遺族の会社員本村洋さん(31)は28日、広島市内で記者会見した。元少年の被告(26)の口から殺意と乱暴目的を否認する言葉が次々と出たことに「聞くに堪えない3日間。あまりにも身勝手な主張が多く、亡くなった者への尊厳のかけらも見えなかった」と語気を強めた。
本村さんは3日間の法廷に、亡き妻と娘の遺影を胸に臨んだ。この日、被告が退廷する間際、事件後に初めて目が合ったという。「鋭い目でにらみ付けられた。遺族を見下ろされた。きょうほど憤りを感じたことはない」と深い怒りをあらわにした。Yahoo!ニュース・時事通信より引用
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『聞くに堪えない3日間』---------------------------------------
このBlogでは、5月24日以来の記事。
人としての常識が見えない
被告人の口から意外な言葉が出た。
今までの公判で、被告人の口から、「お母さんに助けを求める心境で弥生さんの遺体に近づき、性的暴行を加えた」「ドラえもんが何とかしてくれると思った」などと、不条理身勝手な言葉を並べだし、被害者遺族の心を大いに踏みにじった。
そもそも、殺人事件の中の裁判においてドラえもんの存在を表現し、ドラえもんというアニメの世界の質を大いに低下させたのだからだから、F氏は、名誉毀損で訴えても良いのでは?と思う。
ドラえもんのアニメの世界は、人々に良い夢や良い希望を託すために創造されたアニメ世界。
現実世界においての殺人事件で、ドラえもんの表現を用いさす弁護団・被告人の心境は、我々一般人としても決して納得が行かない裁判となっている。
もし、仮に、この裁判で被害者遺族や裁判を見守る大勢の大衆が納得が行かない結果が出たとしたならば、今後も、アニメの世界を表現して、極刑の逃れられるようになってしまうのを懸念する。
すなわち、アニメの世界を取れ挙げれば、人を殺しても良いではないか!?と錯覚を危惧せざるを得ない。
(もっとも、判事達はそんなことを鵜呑みにしませんが)
私はこの被害者遺族の本村洋さんを応援する。
この裁判の行方は決して他人事ではなく、いつ何時、我々の幸せな家庭が狙われてもおかしくないということを尊い大事な命を持って改めて教えてくれたことと、人として感情を持っているのであるならば、誰でも応援したくなるのが筋であると思う。
そして、この裁判自体は、今後の日本の殺人事件裁判を大きく左右させる決定的な役目を兼ね備えているように感じる。
被告は、殺意を否認した非常識論言葉をずらりと並べているが、ここまでくると、今裁判で一番大事なものは、もはや結果重視。
結果は、幸せな家庭を身勝手に崩壊させ、何事にも代えれない2人の大事な命を奪った。
被告から反省の念は未だに微塵も感じ取ることは出来ない以上、弁護は一切いらないと思われる。
弁護というものは、被告が心から反省し、その重大性に目覚め、被害者と遺族のために全力で新たな人生を歩みたいと思った時に、弁護が必要だと私は思うのです。
人権というものは、自分の人格や存在を軽蔑において否定されるようなことをされた場合や、警察官による口裏あわせや誤認逮捕の時に効力を発揮すれば良いと私は思うのであって、悪の存在に力を”化した”人権は、弁護士の存在というものが、低級な士の元で行われているようすら感じるのである。
私が感じとるに、被告人も同様だが、この弁護団も、目覚めて貰いたい。
さて、ありえないことだと思うが、もし、皆さんが、殺意が一切ある・なしにして人を殺してしまったと置き換えたならば、弁護して欲しいと思いますか?
私なら、この命を絶ってでも、被害者・遺族の苦痛と怒りの心を少しでも軽減させるのが当たり前だと思う。
少しでも、早く、本村洋さんのお気持ちが一歩でも前に進めるよう、裁判所は迅速に人の気持ちを汲み取り、早急な対処が必要である。
今までの長い年月は、裁判所も見えない心の人殺しをしていると自覚して貰いたい。PR